惑わずという生き方は無い

高校時代から、学校の基本精神というかで孔子論語、特に以下の分は生徒手帳にもあったりと馴染みが深いもので。

子曰、
「學而時習之、不亦説乎。
有朋自遠方来、不亦楽乎。
人不知而不慍、不亦君子乎」

勿論、高校というか会津の気風もあってか、"志学"という言葉も普通ではあったので、この文も馴染みの深いもので。

子曰、
「吾十有五而志于学、三十而立。
四十而不惑、五十而知天命。
六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」

そんな思いを抱えながら生きてきた結果、40・・・"不惑"へと至ったわけで。
その歳に至ったのだが、実際には「迷わない」という事など無い。むしろ、身も固めず、自分の進む道も定まらず、周囲の変化に対して対応できずにオロオロするばかり・・・と、昔見ていた自分と同じ年代の大人に比すれば全く大した事の無い・・・とどこかの歌にあったけども、その通り。
いい加減な自分でも、そんな状況に不安は増すもので、現状を見直してみたところで思い至るところが。
「歴史上の偉人である孔子と、凡人自分は違うじゃない」・・・という事でなく、自分自身15歳の時に胸に志すものは何も無かったのではないか、と。そして、30の歳に学問の基礎が出来たというか自分の立場を固める事が出来なかった・・・というか、色々と失敗を重ねたのがその時期であったと思い至るもので。
更に悪いのは、その時期に大きく悔しがらなかったという事なのかもしれない。
「後悔先に立たず」と、過去を思っても戦いに勝てないのは重々承知。だからこそ、これからも「迷わない」なんて言わずに「色々迷って」生きてくしか無いんだろうね、と。
そんな思いに至った今年の7月4日。