『シン・エヴァンゲリオン』を経て

TVでの『新世紀エヴァンゲリオン』は放送地域に住んでいたタイミングだったので、放送で追いかけその展開にドキドキし、録画したビデオで繰り返し見たエピソードもあったりしたが、楽しみの中で迎えたラストには「???」という感情で、完全な消化不良を起こしていた。
そんな結末は映画版で決着がつくと聞いて観に行った、いわゆる"旧劇場版"は「魂のルフラン」が流れる幕切れのインパクトに圧倒されたり、そこからの続きでまたモヤモヤしつつ「終わったのか」という感想を抱いたものでエヴァ自体への感想も割り切れないものであったのは確か。

 

そして、新たに新劇場版として制作された『ヱヴァンゲリオン』は「序」「破」の2本で丁寧にTVシリーズを再構成したものであったが、それ故に「着地点は同じなのか」という想いで見ていた。
そこに続いた「Q」であまり展開の変化に戸惑いつつも「これは新しい着地点を持つ面白いものを見られるのかもしれない」と期待を膨らませたものであった。

 

そんな流れを経て、先の「Q」から9年もの長い時間を経て『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開に。新型コロナウィルスでの延期も含め、あまりにも待っている時間が長かった事からどんな"結末"になっているのかを楽しみにしていたので、月曜公開という変則的な日程でありながら初日の夜になんとか観る事が出来たのは幸いであった。

そして、観終わった時の素直な感想は「あぁ、庵野監督のエヴァに関する物語は一貫していたんだな」と思う一方で「人の関りやバイタリティを描いているな」というものであった。
あまりにも急展開であった前作の「Q」の内容に意味があったことを痛感させつつ、実に"らしい"着地点を迎えた物語はストンと腑に落ちるものであり、心地よさもあるもので。爽やかなラストシーンには終わってしまう寂しさよりは、これまでの決着が付いた安堵感が勝ったというか。

とにかく、充足感があるもので、良い一本だったと。

 

<以下は内容に踏み込んで>

冒頭のアクションシークエンスはともかくとして、それに続く生き残った人々の"第3村"での生活を描く展開には驚かされた。
しかも、そんな逞しさを持った人々の生活に影響を受けるアヤナミレイの心の動きが意外でありながら、それを通して人が生きている事を丁寧に描いていという感覚がとにかく暖かいし、当たり前の事を見直しているのが新鮮でもある。
アヤナミレイが田植えに駆り出された初日の婦人達の会話。

アヤナミレイ「仕事って何?」
村の婦人「なんだろうねぇ」(笑い)

こんな感じに些細な疑問を重ねつつ、人が関わり合って生きていく事を丁寧に描く。こういう彼女の描き方はこれまで全く想像できなかった。

勿論その暖かさは、自分のした事で塞ぎこむシンジとの対比という意味もあるのだろうが、そんな村での生活にてシンジも"生きる事"を取り戻す展開も踏まえてではあろう。
そのシンジが立ち直るのには人に触れて感情を得るアヤナミレイの存在があるのだが、更にトウジとケンスケという古い友人との再会もキーであるものだと。歳を重ねた2人と並ぶと時間の流れを否応無しに感じさせるのだが、それ故に"同年代であった友達"という立場故に、優しさや丁度良い関わり方が見え、またしても丁寧に人同士の関係を重ねて描いているという実感を。
なお、トウジについては「Q」にて名前の付いたシャツが一瞬出てくるが、サラリと躱される様に描かれていたので生き抜いていたいた事は素直に嬉しいと思った。医者になり委員長との間に子を儲けている様も含めて、キャラクターのその後としてこれ程嬉しいものはあったろうか。

 

物語のクライマックスは、碇ゲンドウの望みが碇ユイに会いたいという個人的な願望であったり、巨大な綾波レイが現れたりと旧劇場版を踏襲する形であったのだが、大きな展開の違いは"シンジとゲンドウ"との対話。
人である事を捨ててまで事に臨み、13号機で初号機に乗ったシンジと対峙したゲンドウではあるが、向き合った時に自身の"孤独"を赤裸々に語るとは思わなかった。
そして、避けていたシンジの存在に気付いたゲンドウは去っていく。彼の落としどころはそこだったのだろう。ただ、その会話の中で幼いシンジを抱くゲンドウのあまりには意外な姿には心に響くものがあったのは確か。

一方で父と向かい合ったシンジであるが、そこに至ってこれまでに無いその強さがしっかり見えてきたのは意外ではあり頼もしくもあり。
カヲルやアスカやレイとの会話を経てエヴァのいない世界を望み、エヴァとの消滅を覚悟しつつも母に救われるシンジ。その先で最後のエヴァと共にシンジの前に現れたマリへの流れはシンジの辿り着く先なのか。

 

最後に至ってはシンジが実に強く頼もしくも見える。
人としての可能性と言うと別の作品になりそうだけど、人と人の関りを改めて描きなおしたのが「シンエヴァ」なのではないかと思ったり。"第3村"での人々の生活描写は庵野監督の作品としては珍しいと思ったものではあるけれど、そのバイタリティが人にあるのかというのがテーマの一つなんじゃないかという感想に落ち着くのであった。

こう言ってしまうと乱暴ではあるけど、そんな感想に至る事がこれまで引っ掛かっていた"エヴァ"への思いをスッキリさせるものなのかと考えてはしまう。

 


さて、ラストシーンはとある駅のホームでベンチに座るシンジにいたずらを仕掛ける様に声をかけるマリで、そのまま2人で実景の中をかけていくところからの空撮となるのだが、2人とも大人になっている事で"これまでを否定しないでエヴァの無い世界で生きていく"という事を示しているのだろうか。
あまり深い情報は無いシーンではあるけど、これまでのエヴァに無い明るさで締めくくられたのは心地よかったと素直に思う。
但し、旧劇を考えたりするとラストではシンジとアスカが並ぶものと思っていたのだが、アスカは"少年時代の思い出"というものであったのだろうか。だから心を救いつつも「さよなら」と言ったのか。それとも、マリと走った先にアスカが待っているのか。正解は無いだろうけど、そんな事は考えたりはしてしまう。