ぼくらはみんないきている

先の震災から一年が経った今日。
でも日曜だから…と思ったのだが、二度寝の罠に落ちたのでフォーゼから朝が始まる。プリキュアを経て戦隊に戻るという変則シフトでこなしていく。
テレビも辛い話ばかりなので、DVDを2本消化したり、落描きをしたりという感じで引き篭もりでダラダラして1日を終えたさ。


それでも、胸に去来するものもあり、14:46分には黙祷を捧げる。
その時だけ時間を知るためにもNHKで慰霊祭を流していたのだが、その瞬間にテレビの音が聞こえ、外からサイレンの音が聞こえてきた時には何とも言えない感情が。震災直後はヘリの音がひっきりなしに響いていたのを思い出したりなんかで。
でも、自分なんかには「もう1年」だけど、避難中の人たちには「まだ1年」であり、放射線からすると「たった1年」であって、地球からすれば「刹那の時間」なの…という考えも浮かんだりするわけで。


一応、覚書き程度に思った事を書き出してはみる。
テレビで流しているような状況に比すれば、自分のところなど"被災"と言うには無事で平穏であったわけで、その当日から電気もネットも生きていたので日記も欠かさず書いていた。
それを改めて読み返してみると、郡山あたりでは感覚的な記憶よりは街の仕組みは動いていたんだと。直後に買い物しているし、3/25にはガソリンを給油してたりという感じで。逆に、ここ最近になってあからさまに古かった建物が市内のあちこちで取り壊されているのを見ると、当時の状況よりもその尾の長さに震災の強さを感じるとかで。
まぁ、津波とかは知らずにいるからPTSDなんかは無い…けど、変な揺れを感じるとかの不調が全く無いわけでは無いというのが実際か。風評被害なんかもさほど関係無いと思っていたら、意外な感じで仕事の中でも影響があったという話も聴いてはいるし。
何はともあれ、山を越えたところに人が入れない所がある。住んでた土地に戻れないでいる人たちがいる。天気予報と合わせて放射線量の発表をするのが当たり前になっている。こんな事を意識しないではいられないんだろうなぁ、と。
でも、何かやるのかと言われても、出来る事しか出来ないんだよな。